私は祖父母の手厚いサポートで、のびのび育った。
祖父母の家は歩いて20分ほどの距離。
(私の記憶がある限り)小学生の頃からずっと、
夕ご飯は毎日祖父母の家で食べていた。
夕飯の時、祖父が「舌が痺れる」としきりに言っていたことを覚えている。
その日は、お互い元気にバイバイした。
翌日、
祖父が脳卒中になった。
私は、一度だけ病院へお見舞いに行った。
じいちゃんは寝ているのか、
あまり反応がなかった。
何かわからないコードとかマスクとかがたくさんついていた。
その後、何度も母に一緒にお見舞いに行こうと誘われたが、全て断った。
その時は、
なんだか、とても怖かった。
いつものじいちゃんがもう戻ってこない気がして。
祖父はリハビリ病院に転院した。
その後、家に帰ってきた。
右半身は麻痺となり動かない、喋れない
どんなことにも介助がいるような祖父は別人にみえた。
笑顔だけは、以前のじいちゃんと一緒だった。
リハビリ病院でのリハビリによって、介助歩行まで可能となったらしい。
しかし、祖父母の体格差はかなりある。
祖母の小さなカラダで、大きな祖父を介助することは困難だった。
だから、じいちゃんが介助で歩けるということに納得がいかなかった
それから、夕ご飯を食べにいく度に、
じいちゃんの手を握って、バイバイ
と言うのが私の日課になった。
じいちゃんはいつも笑顔を返してくれた。
しばらくして、失語のあった祖父は、下肢の痛みをうまく訴えられず、その痛みや病変に気がついた時には、脚の切断が必要な状態だった。
片麻痺、寝たきり、脚の切断。
そして、
ようやく私が理学療法士となり、
大学病院へ入職してすぐ、
じいちゃんは天国へ行った。
理学療法士としての知識や技術を、
じいちゃんには伝えられなかった
じいちゃんには何もできなかった
だから、
私は、
ラクシオン.を通して、
最善のトレーニングを通して、
「できない」を背負うのではなく、
「できない」を源に
「できない」を糧に
「できる」を実現したい
そして、
楽しくアクティブな毎日を
これが、ラクシオンの地図【ルート9】
Comments