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ラクシオン代表小宮良太

小宮 良太

ラクシオン.代表 

脳卒中認定理学療法士

一般社団法人日本神経理学療法学会会員

どうして独立したの?

初めまして、代表の小宮良太です.

 

私の大好きな祖父は、私が中学生になる前に、脳梗塞になりました.

夕方、祖父の家で私の家族と祖父母でご飯を食べている時でした.

祖父が「舌が痺れる」と言いました.

祖母や母は寝れば治るでしょ、とあまり大きな問題とは考えていませんでした.

もちろん私も重大なことだとは知らずに、いつもの日常会話の一部として聞いていました.

その会話が、祖父の声が聞ける最後の会話になるとは思ってもいませんでした.

翌日には右半身に麻痺が発症.

そして、入院.

私はお見舞いに行けませんでした.

もちろん母や祖母から誘われました.

行きたくなかったんです.

怖くて、

知っているじいちゃんが、知らないじいちゃんになっている気がして.

そして、入院でのリハビリを経て、何とか祖父の家に退院してきました.

 

自宅に訪問してくれるリハビリの方もいました.

 

ですが、全てのことに介助が必要で、寝たきり状態、重度の失語症でした.

私にできたのは、祖父の家でご飯を食べて帰る時に、手を握って「またね!」と声をかけることだけでした.

祖父は失語症のために、いつも笑顔で返してくれました.

でも笑顔と共に、いつも涙を流していました.

私は祖父の手足が少しでも動くように、自分で起きられるように、会話ができるように、自分のやりたいことができるようになるために、私は理学療法士を目指しました.

ですが、理学療法士になってすぐ、祖父は他界しました.

祖父が脳梗塞を発症した時も、他界した時も、私は強い無力感を抱きました.

だから、私は大学病院、回復期リハビリ病院、クリニックに勤務し12年間、さまざまな患者様へのリハビリテーションの経験を通して、[何もできない][諦めるしかない]ということが二度と起こらないように手段と方法をたくさん学びました.

祖父がそうであったように、脳の障害は一生で、期限がありません.

しかし、病院などのリハビリテーションには期限があるために、継続したサポートができず、共に歩むことを諦めざるを得ない方が多くいました.

だから、私は独立しました.

私はあなたを私の祖父だと思って、リハビリを、トレーニングを提供します.

病院を退院し、リハビリを卒業して、「こうしたい!やりたい!なりたい!」ができるまでに快復できたでしょうか?

退院の目標を達成しただけで、何とか生活ができるようになっただけで、「こうしたい!やりたい!なりたい!」は湧き上がってきたでしょうか?

自分の心から湧き上がってくる「こうしたい!やりたい!なりたい!」を育てましょう!

今からでも遅くありません.今から始めませんか?

「自分の想いが実現できる」本当の意味で、快復するまで理学療法士としてお付き合いしたいと思っています.

​私の祖父にできなかったリハビリを、トレーニングをさせていただけませんか?

心から湧き上がる想いを実現するために、最善の解決策を追求します.

一緒に、アナタだけの最善を追求しませんか?

私は諦めません.

これまでの経歴

2022年4月〜

2018年4月〜2022年3月

2010年4月〜2018年3月

片麻痺専門トレーニングジム ラクシオン. 開業(4月21日)

三軒茶屋整形外科スポーツクリニック 非常勤

大学アメリカンフットボール部 メディカルサポートスタッフ

総生会 麻生リハビリ総合病院 リハビリテーション科勤務

​脳卒中認定理学療法士 取得

​3学会合同呼吸療法認定士 取得

​住環境コーディネーター2級 取得

東海大学医学部付属大磯病院 リハビリテーションセンター 勤務

横浜リハビリテーション専門学校 理学療法学科 卒業

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小堀 稔

​ラクシオン. スタッフ

理学療法士 

​どうしてラクシオン.?

はじめまして.理学療法士の小堀 稔(こぼり みのる)です.

「できないことがある」ことに戸惑い、悔しさを感じた経験があるからこそ、今、目の前の「できる」を一緒に引き出すお手伝いができればと思っています.

サッカーに夢中だった中学時代、私は上腕骨を骨折し、手術とリハビリを経験しました.

思うように体が動かず、またサッカーができるのかという不安と焦りから、泣いてしまう夜もありました.

 


そんな私に寄り添い、励まし続けてくれたのが担当の理学療法士さんでした.
 

「大丈夫、またサッカーができるようになるよ」

と、ただ肘の動きを治すだけでなく、私の心に寄り添って未来を一緒に描いてくれたことは、今でも忘れられません.


この経験が

 

「自分も誰かの支えになれるセラピストになりたい」

 

と思うきっかけでした.

 

大学卒業後、9年間回復期病院で勤務してきました.

回復期病院では脳卒中後の後遺症や整形疾患を中心に、ADLの改善から社会復帰・復職支援まで、多様なニーズに応えてきました.

また、非常勤でスポーツクリニックにも従事し、退院後の生活再建や競技復帰に向けた個別支援にも取り組んできました.

回復期病院に勤めていたある日、私はS.T様という患者さんと出会いました.

転倒による脊髄損傷で車椅子生活を送っていたS.T様の願いは、ただひとつ.

「もう一度、仕事に戻りたい」

──その言葉には、深い覚悟と静かな闘志が込められていました.

私たちは、屋内歩行から屋外歩行、電車の乗降訓練まで、できる限り復職後の生活をイメージしながら、毎日リハビリに取り組みました.

日々、少しずつできることが増えていくS.T様の姿に、私も勇気をもらっていました.

しかし、職場の入口にあるじゃり道や、急な坂道を歩こうとした時――ふらつき、足が止まりました.

「まだ怖いですね…」

とつぶやいたS.T様の声が、今も耳に残っています.

結局、退院後すぐの復職は見送りとなりました.

その報告をした時、S.T様は「しょうがないよね。退院後、頑張るわ」と微笑まれました.

でもその笑顔の奥には、明らかに言葉にできない悔しさが滲んでいました.

私はその瞬間、強く思いました.

「私たちは、本当に“生活の現場”に即した支援ができているのか」と.

その後、外来でのリハビリが始まりました.

私たちは一緒に、新たな目標も設定しました.

復職だけでなく、趣味だった水泳の再開、そして「江ノ島のあのカレー屋さんに、一人で行きたいんだ」という願い.

時間は限られていましたが、S.T様は必死に努力し、復職とカレー屋さん訪問は、ついに実現しました.

その日、カレー屋さんに行けたことを報告してくださったS.T様の表情

――まるで子供のように、目を輝かせて笑っていて、その笑顔を見た瞬間、私の胸が熱くなりました.

でも、水泳だけは期限内に叶いませんでした.

あともう少しだけ時間があれば.


保険の枠にとらわれず、もっと自由に支援できていたら.

喜びの影に、ふとよぎるこの「もしも」が、今も私の背中を押し続けています.

だから私は今、退院後や制度の枠を超えて、その人の「本当にやりたいこと」に寄り添える場所を目指しています.

リハビリは、機能を回復するだけじゃない.

その人の「人生」を支えるものだと、私は信じています.

この経験から、「入院中のリハビリだけでは、本当にその人が望む“暮らしの回復”には届かないことがある」と痛感しました.

そして私は、“退院後も一人ひとりの目標に伴走できる理学療法士”でありたいと思うようになりました.

R-accionでは、「もう一度○○したい」「自分の力で動きたい」といった、人生の目標に向けた支援を大切にしています.


私自身の経験、そして現場で積み重ねてきた経験を活かしながら、これからもクライアントの皆様にとっての“希望”でありたいと思っています.

どうぞよろしくお願いいたします.

これまでの経歴

2025年5月〜

2016年4月〜2025年3月

〜2016年3月

片麻痺専門トレーニングジム ラクシオン.  勤務

三軒茶屋整形外科スポーツクリニック 非常勤

総生会 麻生リハビリ総合病院 リハビリテーション科勤務

帝京平成大学 理学療法学科 卒業

住環境コーディネーター2級 取得

HandUPトレーニング

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